07.August.2017

すべての雑貨

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すべての雑貨

西荻窪にある雑貨店「Fall」の店主による1冊。
「雑」という、「その他諸々」というようなニュアンスを含んだ「雑貨」というジャンルにあらゆるものが飲み込まれていっている現象を、「雑貨化する世界」と表現している。なるほど。

Fallが開店したのが2005年。(偶然ながらこのブログを始めたのもその年です)当時はスマホもFacebookもTwitterもなく、今に比べればまだまだ雑誌が売れていて、それどころかデザイン界隈はイベントと雑誌メディアの共犯関係のなかで絶えず話題を提供されていて、私も毎年10月にはきゃっきゃ言いながら青山や六本木をぐるぐるしてました。
そんな頃に小さな店を開いて、以来その店から見えてた風景は、われわれ客側が見てたものとはすこし違って、当然ながらその風景の中には、きゃっきゃ言いながら回ってた人たちも含まれていて、店を経営してる身にしか分からないであろう切実なことも含まれてるからなのか、少しシニカルにも感じます。

描写されてるのは主に店の中でお客さんと日々接する中で起きていること、あるいは業界的なことだったりしますが、それが間接的にこの期間に起きていた、デザインとか民芸とかライフスタイルとかそういう界隈で起きていたことの考察だったりもします。ひとつひとつの出来事は店をやっていれば日常の、ほんの些細なことですが、その背景をひもとくために、近代史も文学もインターネット黎明期の現象も飛び出す、その引き出しに驚きます。しかしそういった考察の積み重ねが、記号化され、消費されてきたゼロ年代以降に対する分析とも言えます。「雑貨化された世界」というのが「記号化」とだぶってくる。
実際、ある時期メディアでもてはやされた言葉や当時のキープレーヤーの名前も出てきますが、それも10年ちょっとの間で、2017年の今現在において続いているもの、言われてやっと思い出す程度に忘れ去られてるもの、いろいろあることに気付かされます。わりと近いところで、同じような世界を見ていたと思い込んでいたけれども、見えてたものは違うものだった、というのは立場が違う以上当たり前のこととはいえなかなかに衝撃的でした。

そしてこうやって、すこしの懐かしみを持ちながら過去形でゼロ年代を語り、総括できる時代になってしまったのだなと思いました。今思うとゼロ年代後半からの数年間は活気があったけれども、残らず消費されてしまったものを鑑みると、変なバブルだったとも言える気がします。SNSという「残らない個人メディア」が台頭して雑誌が減り、マスな影響力を持つものが減ってきた今にして思うと少し異常だったようにも感じます。
ほんの少しだけ前の時代にもてはやされたものが、その後どうなっているのか、最前線ではどう映ってたのか、ものすごく冷静で現実的な批評でもあります。デザインやってた人とか読んだ方がいい。
at 00:14 | Comment(0) | book and music

20.October.2016

場づくり

ここ数日で一気に読んだ3冊。

場づくりの教科書 -
 場とはなにか、コミュニティとはなにかという話から組織運営の指南書。

世界マヌケ反乱の手引書: ふざけた場所の作り方 (単行本) -
 「素人の乱」店主による間抜けな場所(バカセンター)の作り方

パラレルキャリア──新しい働き方を考えるヒント100 -
 副業ならぬ「福業」のつくりかた

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ちょうど1年前に創業塾を受講し、そこで事業計画を作ってみたりもしみました。この先数十年と続く人生で今の仕事をずっと続けられるはずはない、という考えも頭の隅にはあって、自分の興味ごとを事業にしてみようとかとプランを練っていたのですが、その後急に忙しくなったこともあってしばらく棚上げしてました。

これまで場づくりと呼ばれるようなことに関わってたこともあって、読みながら以前関わったいくつかのプロジェクトに照らし合わせたりなんかもして、納得できる話が次々と出てきました。特に「場づくりの教科書」に出てくる組織運営の話。
うまく事が運んでいたときもそうでなかったときも、それぞれに理由はあるのだけれども、その理由はその時点ではわからない。読みながら当時を思い返して、あの時に心得ていればと思うことも結構あるのだけれどそれも「うまくいかなかったこと」を経験してるから理解できる、ということもあるのだろうとも思います。

また何らかの形で、なにかを始めようかとは思っているのだけれども、自分が惹かれるのは周到に用意され、小綺麗に設えられたところよりも、ノリと勢いで、でもどこか確信犯的に始めてしまった「バカセンター」の方です。
では何故そっちか、と訊かれると20代前半を過ごした大学の寮がまさにそんな感じの「バカセンター」だったのだけれども、ただの無法地帯ではなくちゃんと「自治」が存在していた、ということに行き着く。その『自治』がいかに大事なことなのかについてはちゃんと教科書にも紙幅を割かれていてそれにも納得するし、当時はただ面倒なプロセスだとしか思っていなかったいくつかのことも、いまや偉大なことに思えてくる。

02.February.2016

DELFT DESIGN GUIDE

正月休みから少しずつ読んでた今年最初の1冊はひさびさのデザイン専門書。



 今までで一番影響を受けた本は間違いなく 発想する会社! で、事あるごとに紹介しているのだけれども、その原題は"The Art of Innovation"。それに対してこちらは「アートではない」ときた。対極にあるものかと思ってたらその通りとも言えるしそうでもないとも言える内容。前者はIDEOを立ち上げるときの創業ストーリーとがメインで、とにかく勢いだけで突っ走りながら編み出してきたいろんな方法。それに対しこちらは「教科書」というだけあってそういう勢いで突っ走ることも含め、デザインすることのあらゆる局面のそれぞれで起きることを冷静にみながら、それぞれの局面で取れる方法論を一つ一つ、計70個くらいのトピックで丁寧に解説。発想とかアイデア展開とか調査とか現状分析とか予測とか、形やサービスを新しく作る際に適用できる方法とそれぞれのヒントと注意点、弱みなんかがきれいな図解とともに1項目につき見開きでまとめられてます。
 中には知らずにやってたこともあるけれど、それが体系的に解説されて納得することも多くありました。複数のアイデアの中での優劣をどう判断するかとか、長所短所があるけれどもその長短を感情ではなくてどう比重を掛けるかなんかがちゃんとメソッドになっていて、それはなにもデザインに限らずあらゆるプランニングや意志決定に通じることだと読んでるうちに気づいてくる。こういう本を大学生のときに読みたかったと正直思った。
 事業計画つくったり企画に関わってたりして、デザインやってたことが生きてると思う局面はたまにあるのだけれども、デザインと経営は対象は違えどやってることはほとんど変わらないということはなんとなく実感してます。そういうことが言語化されたのか単に自分が追いついただけなのかわからないけれども、デザイン思考という言葉が出てきて、いろんなことが体系化されたのがこの10年なのかなとも読んでるうちに思った次第。デザインしてなくてもプロマネとかなにかを計画したり、事業を動かす人は読んでて損はないと思います。

14.January.2016

2015年

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今さらながら、年のおわりに読んでた2冊。
70年前に起きたことを知り、ほんの少し前の時代を思い返しながら、2015年の意味を改めて考えてみる。

「橋本治という立ち止まり方」は2009年からだいたい3年間くらいの間に週刊誌に掲載されてたコラム。
政治的にも動きがあったし、震災もあった3年間。その時代がすべてにおいてよかった、なんてことはないのだけれども「なかったこと」にされつつあるしそれでよいのかといま読んでみて思う次第。

18.June.2015

わたしがカフェを始めた日。

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わたしがカフェをはじめた日。

4月に京都に行った際、ホホホ座で購入した1冊。
京都にある7軒のカフェの女性店主に、始めるまでのいきさつとか、開店直後のことなんかを取材しまとめたもの。これがすごく面白かった。
どの方もすごく本気なのだと思います。なんだけれども、力んだ感じが一切感じられないどころか、結構適当ですよと自ら言い放ってる、そんな人物像が伝わってくる。
それは商売人というよりはカフェを生活の一部としている等身大の人間であり、そこに関わるお客さんとかお隣さんを含めた生態系というかその場の匂いも一緒に伝わってくる。そう。自己実現とかそんなギラギラした感じは一切なく、媚びずに愛想も振りまかずにただ自分のやりたいようにやってる感じ。
それでお客さんにいろいろ言われたりしながらでも自分の店なので聞いたり聞かなかったりして、いろんな試行錯誤をしてるのが伝わってきます。

巻末の吉本ばななさんの寄稿も直球で、その個性のある店主インタビューの集積を京都を歩いているような感覚と表現し、さらに昔の東京にあったような、金のことを気にしないあの空気はどこにいったと現在の東京都のギャップに触れているのが、京都で暮らしていた学生時代の自分のノスタルジイと重なり、ああそうだったなあと思ったりもする。実際登場するお店の中には開店しようと奮闘してたのが、私が住んでいた時期と重なるものもあって、全然知らなかったけれどもその同時代性に感慨深いものを勝手に感じたりもします。だけれどもそのインタビュー自体は間違いなく今現在、古くても2年くらいしかの時代のギャップがないのがなんだか信じられない。観光目的で行く「京都」とは分断された日常の空気なのだと。

自分自身とシンクロしてる部分があるから余計に感情移入したりもするのだけれども、新たになにか始めるときの「やってみないとわからないからとにかくやってみる」感じはなんか忘れてたな。


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自分で読むなら、社会に出てから。

27.May.2015

読んでいない本について堂々と語る方法

すこし前に私の周囲で「積ん読」について話題になってたところ、まさにそんなタイトルを見つけてしまって購入。



いわゆるハウツーではなく、「読んだ」あるいは「読んでいない」とはどういう状態にあるかを解説し、語るのはどんな状況があるかをいろいろ引用しながら解説してくれます。が、その中で取り上げられてる本も著者自身がざっと流し読みしただけだったり人から聞いただけだったりと、この本自体にいろんなからくりが仕込まれ、そのことが読んでなくても語れることを実証してます。
「未読」にもタイトルだけ知ってるもの、その著者の他の著作を知ってるもの、本は読んでないけど映画で知ってるなどなど心当たりのあるパターンが出てきて、読み進めるうちに、読んでない本について語れる自信は付いてこないけれども、読んだ本の中には堂々と語れない本がほとんどという事実にはっとして、もし読んでない本について語ることになっても(そんな機会は来ないでしょうが)そんなにびびることはないかな、くらいの気にはなれました。

最終章に語る際の「心がまえ」が綴られているのですが、見出しだけで面白い。
・気後れしない/自分の考えを押しつける/本をでっち上げる/自分自身について語る

最初に目次に目を通した時点で、スピーチライターあるいは議会の答弁とかやる人はこれらのテクニックは完璧なのではないかと思いながら読み進めてたら、英文学科の大学院生が興じてたというゲームの話が出てきて興味深かった。

そのゲームは「自分がまだ読んでいない本を挙げ、それについて他の人が既に読んでいる人がいたら1人につき1点獲得」という、プライドを捨てて未読をさらけ出すと同時に読んでないことを証明する駆け引きが、知的だけれども静かな暴力性を持つというもの。
ある時そのゲームに興じてたプレイヤーの一人が若干ムキになったのか、「ハムレット」を持ち出して自分が読んでいないことを公にしてしまい、数日後にその彼は大学の終身在職権の審査に落ちてしまい、読んだかどうかその真偽はともかく、「ハムレット」を読んでいないと公言するような人間にそのポストを与えるわけにはいかない、と判断されたと思われる。
そこでポストが空いたので別の人間がそのポストに就いたのだけれど、その人間も「ハムレット」は読んでないかもしれないけれど、それは誰も訊かない。読んだかどうかという事実よりも、知識の曖昧さも含んだ上で成立しているという学界の基礎とも言うべき所を自ら揺るがすような奴は信用ならない、という話が面白かった。

いやはやなんというか、つい最近似たような話があったぞ。

15.April.2015

街場の戦争論

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昨年の本なのだけど、今読むともう少し前かと思ってしまう微妙なタイムラグを感じます。
未来予測のように書かれたことがまさに現実に起こっていて、なに暢気なこと言ってるんだと突っ込みたくなる。

その早さ?が「今」なんだろうなと。

22.January.2015

ヒップな生活

今年の1冊目は以前から気になってたこれ。
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ヒップな生活革命 (ideaink 〈アイデアインク〉) -

テクノロジーの恩恵をそれなりに享受しつつ、普段は自転車で行動して、カフェであれ本屋であれインディーズで活動してる人が回りにもいて、ローカルに活動している自分が、「決して裕福ではない知識層」に分類され、本書で書かれる「本人はそう呼ばれることを良しとしないヒップ」なのだということは否定できないです。

ローカルビジネスを立ち上げるとか、瓶詰めを売るとか、シェアキッチンを始めるとか、ひとつひとつは小さいけれども確かな動きがあちこちで起きている、というニューヨークのダウンタウンとかポートランドの話なのだけれども、いまの自分の回りでも同じようなことが現に起きてて、同じ流れの中にあることを感じた次第。
会社勤めをしていて、会社に不満はあれども特に生活に不自由はない人間が、働き方や消費や生活指向をシフトさせるには、それなりに価値観を転換させるだけのきっかけがあり、それが災害だったり経済危機だったり黒人大統領の誕生だったりもすることはなんとなくわかる。そういったきっかけでシフトするハードルがテクノロジーで一気に低くなったのが2010年代なのだろうな。

この話、政治指向とか反グローバルとかいろんな話にリンクしてくるのだけど、主義主張の帰結というよりは、「これまで支えられてた大きな組織」をアテにできなくなった自分たちの生存戦略としてそうしている、という側面もあるとおもうのです。

23.November.2013

里山資本主義

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少し前に読み終えたのだけれども、今年読んだ中で1、2を争う良書。

この「里山資本主義」という言葉をどう解釈するのが最も適切なのかいまだにわからないけれども、足元で見過ごされてた資源に目を向け、循環する経済をつくり自立する、という考え方といったところでしょうか。

中国山地で林業とエネルギーを組み合わせることで、地域で循環する経済を実現してるのを例に、地域の資源を見つめ直し、そこでできることを組み合わせてみると、それまで地域の外に流れていた人や金が域内で循環するようになる、事例を丁寧な取材に基づいて紹介から始まります。
その話は進んでいくとグローバル資本や原油価格に左右される、現在当たり前だと思い込んでしまっている経済システムが対比として浮かんできます。そしてマネー資本主義と呼んでいる現在のシステムがいろんな欠陥を実は含んでいて、それがすべてではないということ、欠陥に気付いていながらも目を背けてしまっていることに気付かされます。

ケーススタディとして中国山地をはじめ国内外いくつかの例が出てきますが、どこでも同じことが成立するかというと決してそんなことはなく、例に出てきたところも完全なる経済システムができてる所などひとつとしてないのですが、そういうモノだということをはっきりと認めています。自前のシステムはあくまでサブで、共存させながら今までお金で賄ってきたものをいくらかでも自前で賄うようにすればそれだけ地域が豊かになるし、その分だけ自立したことになる、というところにことの本質があります。グローバルなんちゃらと声高に叫び、経済指標に左右されるのとは一線を画し、踊らされないしなやかな強さを感じるのは、お金がすべてではないという指標を伴っているからかもしれません。

この、経済指標に左右されない小さなシステムと、それが持つしなやかな強さというのは、自分自身がここ最近、地元でいろいろ関わりを持つ中でなんとなく感じながらも言語化できないでいた価値観にも通じるように感じます。
幸いにして私の回りにも地道に実践している人たちがいて、自分も含めて、向いている方向は実はこういう事でもあったのだと、ほんの少しだけ自分たちのやってることに自信が持てたのです。


里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)

19.May.2013

ただものではない「何者か」

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少し前に読み終えた、ブックコーディネーター、内沼晋太郎さんの仕事と本の話。
お話を聞く機会があり、そこでこの本の存在を知り、絶版で下北沢のB&Bにある在庫のみとのことで、行ってみたかった店でもあるのでこの際購入。

「本」のセクションでは手がけた数々のプロジェクトのこと。いろいろ試しながらやっていることが伝わってきます。刊行から3年ほど経っていていることを感じない。私も国立でいろいろやらせてもらっているけれども、「まだまだいろいろできるではないか」という感情と「すでにやられてしまった」という感情とが半々くらいのなんとも複雑な気持ちになりました。

だけども「仕事」のセクションで、それらのプロジェクトを仕事にするに至った経緯を読み進めていくにしたがって、やられたと思ってた感情はどこかへ消えてしまった。
ほぼ同じ時期に学生生活を送り就職活動をしていたこともあってか、就職活動しながら感じた妙な違和感はすごく共感できる。結局スピンアウトするのだけれどその中でいかに生計を立てながらやりたいこととバランスしていたのか、というあたりは「仕事を作る」ということのミクロな部分はこういうことなのだなと。
お金を得ないけどやりたいからやってること、というのも捉え方によっては立派な仕事だと言い切ってくれたことで、実際にいまやってることにも通じてるではないかと少し安心したのであります。
それ自体はお金を生んでいなくても、やりたいことを面白そうにやってるという例は回りにいる人のなかにも結構思い当たるし、実際その人を見る目が変わってる。自分のやってることを他者に話すようになれば、その時点で「何者か」になっているというのは国立本店に関わってみて実感することも多い。

自分で仕事にしてる、ってそういうことでよかったのかとも思うのです。

30.April.2013

ノマドと社畜と貧しい国について

twitterで話題になって一気に読んだ2冊。

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ノマドと社畜 ~ポスト3・11の働き方を真剣に考える

日本が世界一「貧しい」国である件について

働きかたとそれにまつわる日本社会のオカシなところの話。
自分自身が歯車のようになっていながら「社会がおかしい」とまるで他人事のように言ってしまう前に、身近なところから振る舞いを考えろ、それをしないでただ騒いでたり、流れにのって俺かっこいいと思ってる連中はおめでたい、というメッセージが全編通じて伝わってきます。
「ノマド的社畜」という概念が目指すべき一例として登場してきますが、要するに周囲のことに対してどれだけ主体的になってるか、と詰問されてる感じ。その「おめでたい人」と自分は紙一重な感じもしないでもない。

自分自身もここ数年、勤めてた会社がある日突然無くなったり、身内に不慮の事故があったり、そして震災があったりと、そのつど周囲との関係とか思うところがあったし、自分を押し殺しながらやってる息苦しさみたいなものも感じてて、それで会社にとらわれない働きかたができないか始めてみて、ようやく少しはうまく回ってくるようになってきたのだけれども、気を引き締めないと。

それで、今はコトが起きた、さあどうする、という局面だったりもするのです。

28.April.2013

LE FORCHETTE DI MUNARI

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ムナーリさんの「手」に見立てたフォークのイラスト集。
ジェスチャーを集めたSPEAK ITALIANのフォーク版(?)。

02.April.2013

本棚はおもしろい。

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週末は書店員の話を聞いて、本棚を作る機会にお邪魔してきました。

たった1冊であっても、予約をすることは書店にとってはありがたいことで、書店の棚に少なからず影響を与えてるというは意識していなかったけれども言われてみてすごく納得。
予約したり問い合わせすることは同時に情報を提供することでもあって、逆に書棚の並びの中から思いがけず巡り会ったりするわけで、贈与経済みたいなものかと。

今回巡り会って欲しくなった本。
 


25.October.2012

WORK SHIFT

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ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

未来の働きかたについて、テクノロジーの進化、グローバル化、人口爆発、長寿命と超高齢化、エネルギー問題などなどどれも確実に起こるだろうという変化に基づき、2025年の人々の生活のシナリオを例示して、さてどうすると読み手に問いてくる内容。
2025年にシナリオの通りになるかどうかはともかくとしても、変化は確実に起こることなのでかなりのリアリティを伴って迫ってくる。自分の生活感覚から離れたスケール感もあり、怖いとさえ思ってしまいますが、現実に起こりうることだという認識は必要なのだなと。

そのなかで、衝撃を感じたのはグローバル貧困層の出現というもの。これまでは先進国に生まれたというだけで担保されてた生活水準はあったけれども、ネットワークによって地域に関係なく競争にさらされた結果、国を問わず貧困層が出現する、というもの。
これって自分が就職活動していた2005年頃にどこかの経済誌が言っていた「学歴難民」の構図にそっくりではないかと。

学歴で地位が保障された時代はとっくに終わったけれども(そもそもそんな時代があったのか実感が無いですが)企業に属していれば、というのもここ数年で綻びが見えてきたし、そろそろ一気に崩壊するのではないかとさえ思えてしまう。次は「どこの国にいれば」というのが崩壊するということにもものすごく現実味を感じます。


それを見据えて世界で通用するグローバルなんたら、というのもあるかもしれないけれども、テクノロジーに依存しすぎず、ローカルでいろんなことを賄って、その中で実際にモノを落としながら満足感を高めていく、という戦略(おおげさですが)も充分にあるだろうとおもうのです。

05.September.2012

ナリワイをつくる

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ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方

勢いで2回読んだ。
少し前に読んだ、「小商いのすすめ」の、かなりエッジの効いた実践編といったところでしょうか。エッジが効いてるのだけれども、真っ当と言われればその通り。そう思ってしまうのは日常の生活の中で、注意深く観察するといろんなことが発見できる自分の足下に気付くことすら無くなってるからなのだろうな。

「仕事」と「生活」をいかに無理無く一体化させるか、ということをここ最近すごく考えているのだけれども、こんな方法もあったのか、と思いつつも半信半疑な読後感。
自分と歳が1つしか違わなくて、ほぼ同じ時期に就職活動をやったであろう著者の企業に対する考え方は、それなりの時間も経った今との価値観のギャップには共感するところ多いです。

自分でつくれて人間に無理が無いサイズで、やれば頭と体が鍛えられて・・・というところにナリワイの主眼を置く、ということはすごく納得する。体を使うこともなくなってるし、頭も鍛えられる、というのは生きる知恵だとおもうのです。

08.June.2012

なんのための仕事?

ふわふわとした調子の中に、ガツンとくるものがありました。
登場する皆さんのインタビューもすごくいいのですが、最後の西村さんの言葉がずしりと響いてます。

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なんのための仕事?

24.May.2012

計画と無計画のあいだ

計画と無計画のあいだ


計画と無計画のあいだ---「自由が丘のほがらかな出版社」の話

ミシマ社の起業から5年間のエッセイ。思いつきのような起業からドタバタ劇のような日常の連続で読み出したら止まらない。でもその日常の一コマ一コマの中に、三島さんの「まっとうなことをまっとうに通じる会社にしたい」という信念と素直な心、率直な疑問が伝わってきて熱いものを感じます。
それらも「考えてみれば」当たり前のことでもあって、それが逆に自分たちの普段の生活のなかで、実感とか手触りとか、疑問を感じなくなってしまっている状況を考えさせられます。

序章のタイトル「それでも会社は回っている」に、なんだか救われた感じがしました。
ああ、そうなんだよな。いろんな事をつい、ややこしく考え過ぎてたんだな。

28.April.2012

新年度

何かが変わった、というわけではないけど、なんとなく気分的にスイッチ。
そんな気になってる本を2冊。
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だから、僕らはこの働き方を選んだ 東京R不動産のフリーエージェント・スタイル
小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ

去年の年末から再び会社勤めを始めて、いろんなところでギャップを感じています。何もかもが思い通りに行くはずなんてない、ということはアタマではわかっているつもりだけれども、わかってないんだろうな。
それでもなにかモヤッとしているのはなんなのだろうと思っていたのだけれども、自分にとっての「適正なスケール」というのがあって、それに見合ってるもの、見合ってないものがある、そう考えてみたときにこういうことか、となんだかひとつつっかえてたものが外れたような気がしてきた。


「できない言い訳をするために人は論理的になる」という一文にはっとさせられた。
どう生きていくのか、考えを巡らせてるけれども、いかに行動するか。
なんとなく糸口があるようなでもまだモヤモヤ。

20.March.2012

おしえて!もんじゅ君

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右だの左だの、いるのいらないの、それを言う以前に知らなさすぎた。
核物質のない世界で生きていくことはもはやできなくなったという事実は受け入れなければならないし、次の世代がどんな世界で生きていくことになるのかを考えることは、経済の二の次にするようなことではないように思います。

03.October.2011

SPEAK ITALIAN


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ムナーリによるイタリア人のジェスチャーを集めた本。
英語とイタリア語で書いてあります。ところどころわからなかったけど、結構面白かった。


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