21.September.2017

深澤直人がデザインする生活の周囲展

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ふつうといいながら、普通の作り方をしていてはその形を作ることができない、という壮大なジレンマを顕在化させた人かもしれませんね。

それにしても、ゼロ年代総決算のような展覧会が続きますな。
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13.August.2017

フィンユール邸

アルプスブックキャンプの会場には1日。そのあとは近くのキャンプ場に泊まって、翌日は高山。
キタニの本社の中に再現されたフィンユール邸へ。高山はなかなか行きづらいし、こういう時じゃないといけないと思ったのでアルプス行くと決めたら速攻で申し込みました。
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背景は御嶽と乗鞍。噴煙が出てるのが見えるのだとか。

そんなに大きな邸宅ではないですが、一対一で2時間くらいかけて丁寧に説明してくれます。貴重な資料が棚の中から次々と出てきてびっくりしました。3000円は入場料と思うと高いかもしれないですが、美術展で音声ガイドと図録買うと思えば安いし、こういうことをやってのける財団に対する協賛の気持ちです。

実際の邸宅はコペンハーゲン郊外のOrdrup gaard美術館にあって、2011年に実際行ってるのですが、改めてみるとこんな感じだったかなと思うところも多少ありました。単純に忘れてる、というのもあるのですが、実際に増改築を何回かしてて、現地に残っているのは最終形なのだけれども、こちらは少し変えて、写真に残されているのみの段階にしてるそう。棚の中から貴重な資料が次々出てきてびっくりします。住宅は住み手のその時々の事情で変化するものだということを実感します。それ以外にも法的な問題とか、地形とか気候とか材料の問題とかあるのですが、そういうことも根掘り葉掘り聞けて、些細なエピソードからも、家具をライセンス生産してるキタニが、条件が全く違う土地で再現する意味のようなものが垣間見えてきます。

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主室。 背後にある庭にせり出したテントを反射して壁が黄色い。


中に置かれてる家具や造作がすべて同じ、というわけではなく図面だけしか残されていなかったものを自社製造(もちろんライセンス生産)で再現されてたりもしてます。欧州仕様の器具をそのまま使うために220Vの回路を各部屋に引いていて、ピンの丸いコンセントはダミーではなくちゃんと使えるようになっているのですが、トイレやキッチンは100Vの日本仕様を別途引いて、この建物自体をちゃんと使えるものとして作っていて、単純に住宅を再現する以上のことをしようとしてる意気を感じます。実際にところどころ使い込んでいる形跡もあるし。
リビングルームでお茶を頂いてきたりもしたのですが、なかなかいい体験でした。

でもって6年前に行った時の写真をと思ったら外観しか無くて(撮影禁止でした)、と思ったらgoogle mapで中が見られるようになってるんですね。
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27.July.2017

ケータイの形態学

GOOD DESIGN Marunouchiで開催されてる「ケータイの形態学展」へ。

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au Design Projectが15周年というのはいろいろと感慨深いものがあります。
展示内容は最初のコンセプトモデルからこれまでに発売されたもの、実現できなかったものが時系列で並んでいて、実現できなかったものにもその背景をキャプションから読め、そのことが「そんなに単純ではない」ことを伺わせます。
その、時系列に並んでる展示自体がいろんな意味でゼロ年代を表しているように思えます。今見てみると、まだiOSもAndroidも存在せず、OSという概念がパソコンの中だけにしかなかった時代だから、端末の形態でできたことがあったとも読めます。当時大学生だった私は突如として現れたコンセプトモデルに胸躍り、雑誌をむさぼるように読んでたし、いくつかは手にしました。なつかしい。

実現しなかったコンセプトモデルの中には、今回初めて見たものもあり、いくつかは今、2017年においても実際に使ってみたい、そのままが不可能だとしてもちゃんと踏襲した路線で製品開発してほしかった、と勝手ながら思ってました。その一方で、ゼロ年代後半からデザインイベントに合わせて、話題性をもってメディアに発表するためのコラボという方向に行ってしまったものも同じところに並んでいてます。一方をやったからもう一方ができなかった、なんて単純な話ではないにしても、その時代に提案したものが10年経って、何が残って何が空費されたのか、なんでこれを通信会社がやったのかということを考えさせられます。

展示で時系列を見ていくと、テンキーの有無とかOS対応とかQWERTYキーボードを無理して入れてみた、あるいは震災やアイスランド火山の噴火という局面で使い方が大きく変わった、といういくつかの転換点があったように見えます。結局どう転んでもiPhoneに収束されるのが歴史の必然だったとしても、王道をいってると思わせてくれるものがお蔵入りしてしまったのを見ると、ゼロ年代の雑誌とイベントがバブル状態で、それで多少狂ってたんじゃないかとも思えてしまいます。実際の理由ははタイミングだとか、環境的なこととかちょっと違うところなのだろうけど。

これを見ながら思い出してたのは、3月に解体直前のソニービルでやってた展示。あの一角にも歴代端末が並んでたけど、できるならば同じところに並べてみたい。

11.January.2017

あれから

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このblogを始めて間もない頃にいろんな方々と繋がって、それが「form room」という場でもあったのですが、そうして繋がった仲の一人である賀來さんが精力的に活動されてる「つくれる家具」のワークショップを開催することになりました。ここまでこぎ着けられたのがとても嬉しい。

開催のアナウンスと時同じくして、form roomが再開されるというアナウンスを聞いてびっくりしました。

28.October.2016

DIY

デザインウィークに大阪から賀來さんがはるばるやって来るというので半ば強引に時間を作ってお会いして、DESIGN小石川の「HIGHLIGHT」のオープニングを一緒に見てくる。
このような場に顔を出すのがすごくひさしぶりで、イベントを必死に追いかけてたあの頃の切迫感のようなものが無くなった自分自身の変化に驚き、ずいぶんと遠いところに来てしまったという感慨深ささえ感じてしまう。

展示はというと、DIYがひとつのトレンドとして、ここまで来たかという印象。無塗装の合板の断面が見える状態で「作品」というのも、部材を接合するパーツを露骨に見せる(というかそのパーツ自体が展示物)というのも、少し前なら家具としてはありえなかった。実際に材料費を提示しているものもあり、ぱっと見て「作れそう」と思ってしまう。
ただ、材料は買えても同じものを作れるかというと難しいものもあるなあという感じ。というのは加工精度や材料選びが絡んでくる別の話としてあって、こればかりは実際に作って(失敗して)みて自分で気付くのに勝ることはない、というかそうでもしないとなかなか気付けない。プロの仕事はそういうところに宿ってるものだとおもいます。

こういうのに影響されて手を動かしてみて、やってみたところにある気づきがさらに、というの結局はデザインは机の上だけでやるものではないという話でもあって良いと思うし自分も実際になにか作ってみたくもなるのだけれども、今の自分にとってその出口になるのは綺麗なエキシビションではないことを改めて確認。

で、賀來さんに今考えてるプランを打ち明けてみるとなかなかいい感触。エイヤで動かせるかどうかが試されてるんだろうな。

18.October.2016

デザインの解剖

21_21DESIGN SIGHTで開催されてる『デザインの解剖』へ。
かつて『写ルンです』や『おいしい牛乳』を取り上げてたシリーズに懐かしさを感じながらも、今回は新たに『きのこの山』『エッセルスーパーカップ』を取り上げたりもしてます。

ネーミング、マーケット、パッケージデザインから始まって中身、成分、原料に迫っていくもので、1つのアイテムを50くらいの要素に分解してそれぞれを解説。さすがに全部を追いかけるといくらあっても時間が足りなそう。だけれども目にともあったところを読んでいくとそれだけで蘊蓄を語れるような納得感があるし、パッケージデザインであればその要素、バーコードの謎や必要な表示などなど、一つ一つに意味があることを実感できておもしろい。

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なかでも興味深かったのは『ブルガリアヨーグルト』。歴史が長い商品だしそのパッケージの変遷も、立体物としての「箱」もその作り方や材料などなどいろんなものが詰まってる。50年くらいのスパンでみると印刷技術もものすごく進化しているし、ここ20年くらいの間に「表示しないといけないこと」がものすごく増えた、というのもよくわかる。

ディレクターが主にパッケージデザインをやられてる方だし、オトナの事情もあるのかもしれないけれど、食品とパッケージだけではなくて、「写ルンです」のようにメカっぽいものを解剖して、その設計思想が見えてくるようなものも見てみたかった。今だったら何になるんだろう。

04.November.2015

ロングライフ

結局今年も行ってまいりました。

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初めて展示を見に行ったのが2004年とかそれくらいなので、ロングライフの基準としている10年も、ついこないだのようなそうでないような不思議な感覚があります。これももう10年なのか、というものもちらほら。
少しずつリファインされてるもの、ほとんど変わってないようなものもありますが市場に長く存在し続ける、ということの価値を評価することはとても大事なことだと思います。
ただ、市場にずっと存在している大きな理由がデザイン以外のところにあるものも結構あるように感じます。それをデザインと言いくるめてしまうのもなんだか、という気もしているのですが他に評価する基準が現時点で存在しないのも現実。中にはリデザインされてもよいのではと思ったものもあるし、そういった試みもあっていいと思うのですが、ただでさえ変えづらいであろう定番をロングライフデザインという勲章がさらに変えづらくしてたりなかはしないのかなと余計なことを考えておりました。
でも実際のところは、なかなか気付かないような細かい改良を積み重ねていて、気付きにくいけど10年前と比較してみたらすごい進化をしているのでしょう。そういう進化を集めたのを見てみたい。

23.May.2015

「単位展」に感じたきわどさ。

会期が3ヶ月あるし、と思っているといつの間にか忘れていて、残り数週間のときに気付いて無理矢理日程調整して滑り込んできました「単位展」。
21_21 DESIGN SIGHTの企画展は今回に限らず、普段身の回りに存在しているいろんな事象を掘り下げて「これもデザイン」として見せる、というスタンスです。参加したデザイナーがわりと最近、あるいは企画展のために作ったと思われる「表現」と、古来からの営みのなかで編み出されてきた知恵を同列に扱っています。
他の美術館であれば区別して二部構成としそうなところを、建物上の理由というよりは意図的にしていないのだと思います。なので後半パートは興味さそうなので駆け足で、というような見方が出来ない。それ故に今回であれば「単位」というテーマがもたらす、新旧東西意外な関係性の発見があったりもして面白く観てきました。


なんですが、今回ちょっとした「きわどさ」というのも感じてしまったわけでもあります。

参加デザイナーの「回答」と、古くからの営みの中で生み出された「知恵」との境界が、注意してキャプションを読まないとわからない。この違いは大きい。他所の展示で気にすることはほとんどないけれど、観るまでの過程で既に観る側がそれぞれの文脈の中に置かれてるからでしょう。21_21はそういう意味では美術館とも言い切れない。
この両者が混在する文脈の中で、企画展のために作られたものがあたかも古くからあったものとして受け取られ、知識を増やした気になってしまいそう。
中にはもう少し説明してくれないとわからないようなものも、テーマに関係なく単に作りたかっただけなのでは、と思ってしまうモノも混ざっていたりもして、これっていいことなのか、と考えてしまいます。

デザインというよりも、こういった思考自体が企画展として成立し、受け入れられるようになったのは、ピタゴラとか「あ」以来の潮流でしょう。とても良いことだと思うし、巷で言われてる「デザイン」というものが、自分が学生あるいは大学入試の頃とはまったく違う物になっていることは実感します。

デザイナーがテレビに出て、「あれもこれもデザイン」と言ってたりもして、そのこと自体は学生時代にいろいろ勉強しながら感じた日常との近接感に符合する部分もあるし、それ自体は歓迎するべきことなのだけれども、なんかモヤっとしたものが残る。
展示を目の当たりにしてみて、とっつきやすく面白くもいいけれど、それぞれに依存している文脈はあるしそこが抜けるとただ面白いだけで終わってしまうよねと思った次第であります。

05.May.2015

9h

今回の京都滞在のうち、1泊はナインアワーズに泊まってきたのでした。
ほぼ4年ぶり

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仕組みとか内部のことはリンクにある前回の稿に詳しいのですが(読み返してみて自分でびっくりした)、その時と比べて良くも悪くもいろいろ簡略化されてました。
オープンから5年経って、結構稼動しているようです。実際、外国人旅行者とか出張ビジネスマンとかいろいろいました。

とはいえ「へたり具合」が気になる。特にロッカーとシャワーのあるフロア。オープンから5年くらいだけれどもびっくりする。
もともと小奇麗なところで、オープン当初からは運用の細かなところがいろいろ変わっているのだけれど、ハードがそれに対応できてない感じは否めない。運用の変更というのはどんな施設でもあることなのだけれど、元々ソフトの設計まで「かっちり」していただけに、使わなくなったけれどもほかに使い道のみあたらない棚なんかが目に付いてしまう。
壁仕上げも基本が塗装とカッティングシートのサインですが、クールでかっこいいんですけど、ハードユースとなると年季が入ったと言うよりただうす汚くなった、という印象。以前別の場所で同じようなことを感じてたのだけれども、やはりこうなるものなんですね。勉強になります。

カプセルにあまり物を持ち込めない(置き場所がない)ので、貴重品に不安を感じないこともないとか、大きないびきが聞こえない保障は無いとか、気にする人はそのあたり、安宿特有の割り切りと開き直りが必要ですが、コスト配分を「寝ること」にシフトしたと思えば他のいろんなことも含めても納得できるどころか、むしろお得感すらあるパッケージだとおもいます。

なんだかんだ言っても、夜遅くまで遊んで、シャワー浴びて寝るだけで今回は2800円。この金額でで泊まれるならもう少し頻繁に京都に行ってもいいかなとは思えます。

10.February.2015

道具

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Things become "Dougu" with Manners of Truth
Truth,Goodness & Beauty in Design

31.May.2014

or-ita

ダンボールカッター[or-ita]が届きました。注文してからかれこれ3年。

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注文当時とは自分の状況が大きく変わってしまっているのだけれども、手をつかってあれこれ試してみること、つくることの普遍性はなにも変わらず。それどころか当時よりもさらにその言葉の意味するところに重みが加わってきているようにおもいます。

同封されていたメッセージに、気付かされたのであります。
自分でつくる、ということからしばらく遠ざかっていたけれど、なにかやってみようかな。

07.May.2014

平面と空間のあいだ

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平面上できれいにレイアウトすることと、それが空間の中に入った時、厚みを持った物体になった時にどう見えるかを建築図面から検討ながら形にしていくのはまた別のスキルなのだけど、そのことが全く知られていない、そこをやってる人がいない。という話を聞いて、それはサインの仕事をしてて感じることでもあって納得したのだけど、もしかしたらマッチングがされてないだけなのではという気もしています。

27.August.2013

地方

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盆休みは父の地元へ。
新幹線で4時間、さらにレンタカーで2時間。
海と山との間に国道と線路が1本ずつあるだけのようなところで、携帯もほぼシャットアウトして数日過ごしてきました。
最後に行ったのはたぶん10年以上前。変わってないようでもよく見ると観光地化してるところはそれなりに変わってるし、きれいな土産物や、立派な食堂や宿泊施設が出来てたりなんかもして、その変貌ぶりに驚くけれども、すぐ横はほとんど変わっていないどころか、廃れるに任せるようなところも実際あるけれども、実際に人が生活しているし、その営み自体は隣の立派な施設とは根本から価値観が違うことは想像に難くない。どうしてもその比較で見てしまう。

地域のデザインだなんだと言っているけれども、それを必要としているのかどうか、あまりにも極端な例かもしれないけれどもこの状況を目の当たりにすると、考え込んでしまう。

11.May.2013

曇り空もよく似合う

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目黒区総合庁舎(旧・千代田生命本社ビル)の建築ガイドツアーに参加してきました。

もしこれが役所として建てられたものだったら、こんな部屋いらねえだろうが税金泥棒、みたいな話になりかねないこのご時世、戦後に建てられた保険会社の本社ビルをから用途変更して、公共の財産になってしまうのだから良い話です。
出入りする人の数も属性もそれまでとは全く違ってしまう故のメンテナンスの難しさとか、設計の制約なんかは、やっぱりあって、そうなってしまうのか、という部分が無いわけでもない。
ですが階段とか守衛室のディテールとか壁の立ち上がりとかつぶさにみてると本当美しいし、そこに一般市民が直接入って行けることにすごく価値があると思うのです。続きを読む

01.September.2011

Good Design Expo

昨年は主催者側にいたこともあって、思うところもあるのですが、行ってきました。

今年は地震の影響もあってか、あんまり華やかさを感じるものが少なく、というのは審査委員長の言葉通りで本当にそんな感じを受けました。その代わりに社会的意義を説いてるものが多かったような気がしました。とくに建築関係。このあたりから特賞が出るような気がしてるのは自分の感受性もそうなってしまったからか。
その中で、2K540とJRの自販機はいいところ行くのではと思ってもいるのですが、いずれも3.11以前。あくまで感覚的な話だけれども微妙なズレも感じないわけではない。どうなるんでしょ。
プロダクトの中では、テレビが断然面白かった。去年一昨年くらいどのメーカーもばかでかいのを何台もサイズ違いで並べてこれでもか、と見せつけたのが無くなって、特に日本メーカーは2台目需要の小型へシフト。部屋の中で置かれる様をプレゼンテーションしてるのが多かった。去年金賞のモノリシック(の後継モデル?)がなんだか浮いて見えたくらい。

それと、東北の出展者を集めた「東北茨城デザインプロモーション」は素直に良かった。デザイナーは東北だけど他の所で作っているとか、何をもってこのカテゴリにするかについては正直ちょっと疑問に感じる部分はありましたが、あれだけ集めたことによって、日本のローカルが持ってるしなやかな強さ、みたいなものが出てたように感じます。凄いじゃないかニッポン、って思った。


二次審査会場をそのまま一般公開するのは今年が最後で、来年からは受賞したものだけを展示することになるのは、よい方向性だとおもいます。
審査会場に集められたものをそのまま公開、というのは確かに合理的だし、ある意味では透明性を担保しているとも言えるけれども、ショーに傾倒しすぎて「だいたい半分は受賞せず」という事実は霞んでしまってるように思うし、ショーにするにもそれ以前に審査会場であるげ故にキュレーションを放棄せざるをえなくなっているのも確かだと思います。それにインターフェースやソフト、社会システム的なものの割合が多くなってて、建築含めてあの場所の1m四方では審査できないもの、なにもそこでする必要のないものも多そうだし。

展示物がセレクトされた結果、全体が「企業のプロモーション」ではなく「デザインの展示」らしさが増すのであればそれでいい、というかそうあるべきだと思います。
そんなことも考えつつ「適正」がキーワードになっているのは興味深いです。これをテーマにしたステージトークが初日にあったらしいのどけれども、どんな内容だったのかは気になります。ぜひとも記事にしていただきたいです。(考えてみればデザインニュースが休刊になった時点でメールニュースなりWebがそういった役割を持つ、ということではなかったのではないかとも思います。)


審査方法含めて、制度そのものを根本から組み直すようなもので大変なのはなんとなく想像しますが、来年にちょっと期待してみることにします。

31.July.2011

SAS


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Radisson BLU Royal Hotel





(電柱はないけど電線はあるんです。)

20.July.2011

The House of Finn Juhl


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コペンハーゲンに到着して、まず最初に向かったのがこのフィンユールの自邸。
中央駅から電車で15分くらいの郊外にある美術館、ORDRUP GAARDの敷地の中に建っています。


決して派手ではない平屋建てなのだけれども、これがなんとも素敵。
リビング、ダイニング、寝室、キッチン、書斎、質素だけれども、それぞれの空間に入る自然光がよくコントロールされているのを感じます。
玄関を入って正面に温室のようなテラス、左右に奥行きのある建物をつなげるような形で右にキッチン、寝室、ダイニング、左に書斎とリビング。たっぷりと日の光を入れるところとそうでないところのメリハリが効いてます。この自然光だけでつくる階調の豊かさが、それぞれの部屋を特徴付けて、また用途に適っている空間にしていることに驚きました。
それ以来滞在中、行く先々で建物の光の取り込み方、つきあい方を考えるようになってしまいました。

夏至から間もない時期でしたが、冬はどう映るのか、気になるところではあります。

08.July.2011

Dansk National Bank

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2回目ですが、やっぱりスゴイ。と思うのです。
この外壁の迫力を間近に感じながら歩道を歩いてるときの感覚は、本当おかしくなりそうです。(毎回方向感覚無くなります)



(が、今回も週末なのでロビーには入れず。。。。)

09.January.2011

ナインアワーズ

年末の話ですが、泊まってきました。
カプセルホテル 「9h」(ナインアワーズ)
AXISでの展示で実物のカプセルに入ってみたり、Gマークのプレゼンテーションやらいくつかの雑誌やらを見て、情報として知っていることはものすごく多いのですが、入ってみないことにはわからないことが、結構あったようにおもいます。

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18.December.2010

EUPHRATES

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研究から表現へ。

佐藤雅彦研究室の卒業生による仕事の数々。研究室の活動がベースになっている、そのプロセスにいちいち感心してしまいます。

ものすごく簡単そうに見えて、ぱっと見たところでは「これなら出来る」と、思ってしまうのだけれども、そこに行き着くまでの間に膨大で地道な宝探しのような研究の過程があるのだな、ということに改めて気付きます。


「これなら出来る」というのは単に「真似するだけなら出来る」ということでしかない、というムナーリの言葉を再確認。


拡大カメラを見ながら極小文字を書いてみる、というものがあったのだけれども、実際やってみると数ミリ角の文字が実際書けてしまう、ということに驚き。
人間の感覚は研ぎすませていくと、歯科治療の細かい作業や、金属加工職人のように表面のコンマ何ミリを触覚で判別することができる、ということにものすごく納得してしまいます。