07.September.2017

ル・コルビュジエと前川國男

仕事が切れたタイミングで江戸東京たてもの園へ。

tatemonoen.jpg


コンパクトながら古い図面、手書きのドローイング、再現された図面などなど充実した内容。東京文化会館の断面模型すごかった。そして園内に移築され、常設展示されてる前川國男邸にも入れてすばらしい。
午前中で見終わるつもりが、夕方までしっかり入り浸ってしまいました。

maekawa.jpg


一番使ってるのは新宿の紀伊國屋ビル。ほとんど意識せずに使っているけれど、今はポップアップショップのように使われてる1階の「広場」や中の通り抜けの意図を解説されて面白い。

近代建築の教科書的に、モデュロールの解説を再読して、コルビュジエ設計のサヴォア邸やらロンシャンの教会も見てたら、来年あたりに建築旅行でもしてみたくなってきた。そのモチベーションを保てるかな。
at 14:29 | Comment(0) | now studying

29.April.2017

柳本浩市展

今日から始まった柳本浩市展に行ってきました。

yanagi1.jpg

続きを読む

20.March.2017

郊外のススメ

郊外に住むわたしが、都心に出た用事のついでに都心でやってる郊外暮らしの展示へ。

kougai.jpg


「郊外で暮らす」ということについて、地場の工務店とデザイナーが中心になって、ファシリテーターを立てて、その像を描いてます。という解釈でよいのか正直自信はないですが、わりと明確に人物像を描いた上で住まいのモデルを提示されてます。実物モデルだけに説得力があります。実物でデモできるってやっぱりすごい。
「戸建て」とか「広さ」とか、郊外を考える上のキーワードはいくつかあるのだけれども、ここで提示されてた「暮らし」の中にほんの少しだけ「小商い」と言われているようなものも入り込んでいるのが気になりました。そのモデルの善し悪しではなく、職と住の関係性を模索しているのが今なのかなと。
そもそも郊外暮らしという考え自体が通勤とセットで成り立ってた、という前提があって、だけれども中には思うところあって地域の中で商いを始めたいと思ってもいるけれども、成立するのかどこか懐疑的なので会社勤めはやめられない、という人物像のなかにも葛藤が描かれていて、それがなんだか依存できる大都会がすぐ近くにあるその距離感みたいだなあと。うまく言い表せないのだけれども。郊外に住んでいるとはいえ、家族もいなければ都心に通勤してるわけでもない自分自身とのギャップがあるからなのか、なんだかモヤッとしました。

ただ、ひとくちに「郊外」と言っても都会まで電車で30分弱のところと、小一時間掛かるところでは事情はだいぶ違うという実感はあります。距離よりも電車の本数かな。

23.February.2017

復習

making.jpg


早くも1ヶ月が経とうとしてますが、ワークショップの復習。開催したいという問い合わせも頂いてます。
この椅子ひとつ組み立てるプロセスの中に、構造のこと、道具のつかいかた、材料の見方、釘の使い分けなどなどあらゆることが凝縮されていることを実感してます。
うまくヴィジュアル化できないかなあ。

22.October.2015

都市のイメージ

今関わってる、とあるプロジェクトで気になって、修士論文を書いてたときの参考文献をひさしぶりに手にしました。
写真は今回買った新装版ですが、論文執筆当時はまだ出てなくて、60年代に出た古いやつを大学の図書館で読んでました。

imageofcity.jpg


人が都市をどう認識しているか、という都市計画のためのリサーチが内容なのだけど、私がこれを知ったのも情報デザインの流れから認知科学とかそっちの文献を読んでたらそこに出てきてたことでした。まさか都市計画の本が出てくるとは思わなかった。定性調査の方法の参考としても凄く役に立った、というかそこまでやるのか、と目が点になる思いでした。
インタラクションとか使い方の観察とか、当時研究室でやってたことは割と最近のものだと思ってたのに、都市計画の分野ではその50年前にやっていた、という事実に驚きながらも題材が身近なだけに、当時住んでた京都の街を自分はこう認識しているんだな、と思いながら読んでました。人は無意識のうちに都市の要素を大まかに5種類に分類して単純化したパーツを組み合わせるようにして認識してるという話を、自分が知っている身近なところ何ヶ所かに当てはめてみるといろいろ腑に落ちる。

それで今改めて読んでみると図版として使われてる写真は確かに50年代なのだけど、そこで言われてる自分の頭の中で起きてることでもあるのでさくさく読める。そして今現在自分が生活している街にいつのまにか重ね合わせてみたりもしてて、それが最初に読んだ10年前との比較にもなってて面白い。今と比べてテクノロジーが圧倒的に無い時代にこれだけの調査をやったその説得力と、ベーシックな論考ゆえの色褪せない力強さを感じます。古典だいじですね。

22.September.2015

ケーススタディとしての本屋

 連休の前半は新潟へ。主たる目的は稲刈りなのだけどせっかくなので新潟市内まで行って、2年前に鎌倉でやってたイベント以来、いつか行こうと思ってた北書店と、8月のイベントでお世話になったツルハシブックスを回ってくる。
kitasyoten.jpg


 8月本に関するイベントをやって、その後にレポートを書いたりもしたこともあってそこで聞いた話を何度も反芻しているのだけれど、どういう場所を作って関わるかとかいろいろ考える。北書店は実際に棚を前にするとこれを売りたいのだという意志、店主の本に対する真摯な気持ちが伝わってきて見ていて飽きない。プロの仕事とはこういうことかと感嘆する。それに比べてしまうとツルハシブックスは本屋としてはどこかしらに物足りなさを感じてしまうのだけど、人の出入りも話し声も絶えないし来る人がみんな若い。中にはかつてよく通ってたけど仕事の関係で遠方に引っ越してしまったのだけど休みに入ったので久しぶりに来てみた、という人もいたりして、あの場所を欲している人がいて愛されていることがよくわかる。雑談をしているようでいて店主の西田さんが今読むべき本を薦めてたりもしてて、こういう場所を通じて、地域の若者にとっての本とのファーストコンタクトをセッティングしていると考えてみると、置いてる本の選書が自分にフィットしないけれども人には薦められそうな感じもすごく納得したし、これも本屋のひとつの姿なのだと思う。
 こうしていくつかの本屋を見ていると「自分がもし作るとしたら」ということを考えるケーススタディにしてしまっていることに気がついてしまうのだけど、自分が本気の本屋にはなれる気がしないし、ツルハシブックスもあの場所でやってるから意味があるのだと思ったりもする。どこかの単純なコピーをしてもそれは意味がないんだけれども。

25.February.2015

東京駅100年の記憶

東京ステーションギャラリーで開催中の「東京駅100年の記憶」を観てきました。

ギャラリーに入るのは初めてですが、出る改札さえ間違えなければ電車下りてすぐ。いいですね。

駅そのものの歴史がテーマなのですが、鉄道に特化している訳でもなければ建築に特化しているわけでもなく、政治的な事件の記録も産業史的なこともあり、首都の中央駅としての宿命のようなものも感じられます。若干の手前味噌の風味もありながらもバランスが取れた、いろんな見方のできる展示でした。それ故、特定ジャンルの内容を期待していると物足りなさを感じるかもしれません。


復原工事の際に見つかった階段手すりとか、煉瓦の塊とか、グッとくるポイントはあるのですが、開業当時と1964年と現在の丸の内を比べた模型がいろいろ考えさせられる。

Tokyo1964.jpg Tokyo2014.jpg
左:1964年/右:2014年


丸の内も日本橋も100尺の軒高制限があって、是非はともかくそれが景観を形成してたのだけど、今や丸ビルも三菱一号館も中央郵便局も例外なくフェイクを残してすぐ背後にガラス張りの超高層。唯一の中層が東京駅舎で唯一視界が抜けるポイントなのだけれども、背後にはしっかり八重洲のグランタワー(大丸)が聳え立ってる。
それが時代の要請なのであれば、そのフェイクにどれだけ意味があるのか考えてしまうし、低層部分は似たり寄ったりのショッピングモールだったりするわけで、その要請そのものを疑ってみても良いような気さえしてしまう。
と思ったら展示の中に三菱地所が30年掛けて丸の内一帯に超高層をガンガン建てる計画を発表した88年の新聞記事もあり、その時代の要請がようやく達成されつつあるのかと。なんか納得できる話だけれども10年前ならともかく、今現在ではどうなのだろうかは考えてしまうところ。

もう一つ興味深かったのは、文学作品や絵画に出てくる東京駅の姿。
それぞれ作られた時代もあるのだけれども、そこに描かれる東京駅はどこか牧歌的で、復原されたとは言え人と車と工事のノイズでごった返す今の東京駅の姿とは全然違う。車の量なんかはどうにも抗えないよなと思ってたところ、今工事している丸の内広場の整備計画も最後にあって、そこに広場が描かれていることに少しだけほっとした。数年後、広場が完成したときにどう映るのかが楽しみでもあるのです。

03.August.2013

自分は自分

leoleonni.jpg



スイミーの話に思わずうるっ。

28.March.2013

HOUSE VISION

housevision.jpg


これも先週なのだけれどもHOUSE VISION。
「今現在の時点で考えられる、未来の住まい方はこんな感じ」と言ってしまうと陳腐ではあるけれども、7つのモデルハウスでそれぞれ企業や建築家が展開しているのを、なるほど、というのが半分、残り半分はいくらか懐疑的に見てました。

本当にその通りになるかどうか、あんまり信用していないというかある意味割り切った見方をしてしまうのは、10年くらい前に展開された「携帯電話のプロトタイプに見た未来とその後」のトラウマかもしれません。
良い悪いではなく、そういうものなのだ、ということをようやく理解したというか。

 
続きを読む

26.March.2013

モバイルハウスのつくりかた

mobilehouse.jpg


モバイルハウスのつくりかた

これを観たのはもう1ヶ月以上前なのだけれども、「住む」ってどういうことなのだろうと頭の中でぐるぐる。

路上生活者のフィールドワークから始まって、(不動産ではない)モバイルハウスを実際作ってしまったというドキュメンタリー。制作指導は「多摩川のロビンソンクルーソー」と呼ばれる路上生活者。
坂口さんが敬意を持って接しているのが凄く伝わってくるのだけれども、その路上生活者の知恵と技術は本当すごい。

少なくとも、自分含めてアタマばかりでっかくなってる人よりは、実際に隅田川や多摩川で自給生活をしている「路上生活者」の方が住むことに対してのリアリティは圧倒的なものがあることを実感。
最後、吉祥寺の駐車場に実際に移動させて軽くパーティーしながら、「これ以上何が要る?」と問いかけてるのが印象に残った。

23.August.2012

テマヒマ

temahima.jpg



テマヒマ展<東北の食と住>
食と住をテーマに、東北地方に息づいてるさまざまな「文化」の集積。
脈々と続いてきた営みのなかで編み出されてきた知恵や習慣。登場する人々の表情と、手に刻み込まれてるものの偉大さに圧倒されっぱなしでした。70代80代のじいさんばあさんが登場するけれども、みんな元気で若々しい。

籠、木箱、織物、笹巻き、駄菓子、保存食、器・・・
人間の凄さと同時に、その凄さを省略することで成り立つ都市生活に浸り抜け出せなくなっている自分自身の無力感さえ感じます。

東北がフォーカスされる契機は震災にあるのですが、とはいえ「被災地」というカテゴリに入れて、上から目線で評するのは明らかに違ってます。この展示に限ったことではないですが。
ここにあるのは人間の営みであって、そのなかには絶滅の危機に瀕しているものだって少なくない、という現実も突きつけられたように思うのです。

11.March.2012

できますゼッケン

dekimasu.jpg


きのうは東京にしがわ大学の授業。
首都大学の市古先生を招いての「減災」のワークショップに、撮影スタッフとして参加してきました。



災害をゼロにすることはできないこと、それを前提にいかに「減災」していくか、行政がやること、地域がやること、自分たちでやること、それと同時にそれぞれが「できない」ことも存在していることはそういえばそうなんだと。

それと、都心に勤めに出てる人が多いところだから、帰宅の問題は必ず発生するし、自治体の備蓄量は住民が基本なので、昼夜人口が大きく変わるようなところではどんな事態になるかわからない。
あのときは歩いて帰ることもできたかもしれないけれど、途中の住宅密集地で火災があればそれも不可能なこと、
言われてみれば当たり前のことだけれどもひとつひとつが目からウロコ。
その日は都内にいて、自分も「あの日」は「いつか」の疑似体験をしたとおもってたけれども、起こりうることはその比ではないんだなといろいろ考え直すことも多かった。

そしてなにより、この「できますゼッケン」は強力だった。
「自分のできること」書いて貼り付ける、ものすごくシンプルなことなのだけれど、あの状況に自分が入っていったときに、自分が何をできるか、掃除とかなにも特別な事である必要はないのだけれども、ものすごく自分が問われている気がします。

16.February.2012

「身近な素材」であるために

AMCC.jpg


先週末は北海道へ。

札幌から雪祭りをほとんど横目に旭川。木工コミュニティの冬キャンプに参加してきました。
極寒のなか、かんじき履いて山に入り、そこで木を1本間伐してくる、というもの。
本当は丸一日かけて山を知り木を見定めて、という内容のはずでしたが、札幌を朝一番に出るも旭川に向かう電車が途中の大雪のために2時間以上遅れて着いたら昼。そのため半日コースとなりました。

やってきたことは山に入って木を1本切ってくるただそれだけなのだけれども、ものすごく深い。
いきなり「50年後100年後の姿を想像しながら、残したい木、そのために切る木を選んでみる。」という命題を与えられ、そのタイムスケールが日常接している世界とあまりにもかけ離れていることに度肝を抜かれ、どう想像したらいいものか、という若干の戸惑いも感じましたが、そこは「1年で1センチずつ太くなる、と仮定したら」と、助言をいただき、実際には1センチはないけれどもそういうことか、と少しずつ掴めてきたように感じました。

周囲を歩き回りながら上を見たり下を見たりして、白樺やミズナラが生えてる森の中で選んだのが珍しく生えてた桜の木。
そしてすぐ近くに生えて、上の方で枝が絡まってたシナの木を切ることに。
シナの木。確かに身近ですが「木」ではなく「合板」のイメージに占領されてることに気付かされました。

いざ切り倒すにも、周囲の木を傷つけないように倒す方向を考え、下敷きにされそうな木を縄で引いてよけて、切るときも雪を掘ってなるべく根元の方を切り、切った木を山から下ろして、という工程を実際に体験してみると、木を1本切るのも決して簡単なことではないことがよくわかります。*林業の現場では機械化もされているみたいですが


実際に倒れた木をみると、決して太いとは思えないけれども、それでもその太さになるまでに50年60年。
つい「身近な素材」と言ってしまうけれども、それが身近であることの前提にある偉大なもののことを、山からを下りる途中、太くないけど水分を含んでだ生木を担いで、ずっしりとした重さを感じながら考えてました。

この場所を見届けられるのはどんなに長くても50年後までだろうけれども、どんな森になっていくんだろう、ということは考えます。
単純に、夏はどんな姿になっているのかも気になりますが。

AMCC2.jpg

輪切り。片手に乗るけど推定55年。



16.December.2011

神田の家

神田の家


先月までは近くに通ってたこともあって、御茶の水とか神保町あたりを結構ぐるぐるしてました。
それで見つけたのが神田の家。

神田明神の中というか隣にあります。
元々はお堀端、いまの竹橋辺りにあったという江戸の木材商の家を移築した建物とのことですが、その場所もしかり中に入ってみて驚いた。
材木商だけあって、使っている素材がとにかくすごい。天井板に屋久杉と霧島杉を使ってたり、和室の欄間に暑さ5センチ近くあるのではないかという銘木(詳しくは忘れました)の彫り物が入ってたりと、こんな物が存在してたのか、とひとつひとつに驚く。
天井も網代天井、船底天井、竿縁天井と部屋ごとに異なる作りになってると思ったら、別のところでは箱竹を使ったりもしていて、和室の造作の実物を見る機会がなかなか少なくなった今、なかなか貴重なものだろうし、見ていてすごく勉強になる。


障子の細工のような細かいところまで凝っているので、いくら金持ちとはいえ、あらゆるところに手間のかかりそうな物があるのでスタッフに聞いたところ、その材木商人が職人たちを「食わせてた」らしい。
なるほど上下関係のようだけれども仕事をするために持ちつ持たれつ、ということなのかと納得。


毎月8のつく日に公開しています。タイミングを合わせるのはなかなか難しいですけど、見る価値大いにあるとおもいます。

12.December.2011

LC4

LC4.jpg

27.October.2011

東京都庭園美術館

庭園美術館


改修工事のため今月末で一時閉館になる庭園美術館。最後ということで建物そのものを公開しています。
これまでにも何度か行っているところだけれども、展示品の無いところでその空間のしつらいをじっくり観てみると、金物、照明、柱の処理、窓、カーテン、ラジエーターカバーなどなどひとつひとつのディテールに発見があります。

たしかにいたるところに手の込んだ仕事があって、たしかにそれは装飾なのだけれども、それぞれが主張しているのではなく、抑制が利いててうるさくはない。
単なる言葉の問題だけど、教科書的に「アールデコ:装飾的」というのはなんか違う、かな。

30.September.2011

選ばれし者たち

makingofskytree.jpg


科学未来館で開催中(10/2まで)の「メイキング オブ スカイツリー」
スカイツリー建設にまつわるエトセトラな展示。機械とかテクノロジーとか工法とか鉄骨とかいろいろ。いままさに作っているところ、その進行具合をいろんなところから見えてる、というシンクロ感はまさに今だけ。タワーの一番上のクレーン操作室からの風景の3D映像は凄かった。

建設現場はほんの少しだけ関わったこともあって、朝8時にラジオ体操して、出入りの業者の点呼して、ヘルメットとか安全帯とか確認して、そうこうしてるうちにでかいトラックがばんばん入ってきて鉄骨を担いでる人が行き来してたりとか、そんな風景にそういえばこんなだったな、と思ったり。
600メートル超の塔を作る、とはいえその一つ一つは「ものを引き上げる」、「ボルトを締める」、「溶接する」、ということの積み重ね。でもそのひとつひとつが規格外。なんてことのないようにも見えるけれども、そこに集まったのはものすごい職人さんたちなんだろうな。

・・・その、規格外を伝えたかったのだろうけれども、実物は持ってこられないものもあって、随所にハリボテ感。
夏休み企画でもあるので、子供にも観てもらうことを意識したのかもしれないけれど、1300円の展示としては正直なんだかなあ。1/100のレゴなんかここにやらんでもいいような。

それでも、すべての鉄骨の引き上げと取り付けが終わり、634mに達したとき、その時上にいた作業員の人たちの顔つきを見てると、選ばれし人たちだなとも思ったり。
もし自分がそこにいたらそりゃあ、死ぬまで息子や孫に自慢したくなるよなあ。

24.September.2011

zapfino



zapfino.gif






「ヘルマン・ツァップ&グドルン・ツァップ カリグラフィーの世界」。25日まで。

19.September.2011

福田繁雄大回顧展

fukudashigeo.jpg


川崎市民ミュージアムの福田繁雄展へ。

1枚のポスターでも、ただ面白いだけでなく、そこに込められたメッセージがものすごい迫力で迫ってくる。
そのメッセージを伝えるために、人を引き寄せるトリガーとしてユーモアが込められている、ということに目からウロコ。
ポスター以外にも、木の玩具とか「使えないプロダクト」や立体オブジェなんかもあって、膨大な量の実験を自分でやっていたことに驚きです。
そうした実験の上に表現があって、機能しているということになるほどと。

ものすごく密度の濃い展示でした。

13.August.2011

セヴァンの地球のなおし方





この少女が29歳になって子供を授かった2年前に制作されたドキュメンタリー、「セヴァンの地球のなおし方
19年経ったいま、かわっていないどころか状況は悪くなっている現実はショックです、と他人事のように言ってしまうことの無力感もあります。
食を中心に地産食材や有機農法などの取り組みの例も取り上げられていて、ただ悲観的になるだけではない内容。あ、核についても少し。

でも、モンサントコーンが原料に含まれてる飼料を食べた牛の糞が有機栽培肥料として使われている、というのはかなり衝撃的だった。
食のグローバル化には、こういうことも含まれるのだと。